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【小説】伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』(河出書房新社)

2012年09月09日 09:09


屍者の帝国屍者の帝国
(2012/08/24)
伊藤 計劃、円城 塔 他

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19世紀末――かつてフランケンシュタイン博士が生み出した、死体より新たな生命「屍者」を生み出す技術は、博士の死後、密かに流出、全ヨーロッパに拡散し、屍者たちが最新技術として日常の労働から戦場にまで普及した世界を迎えていた。後にシャーロック・ホームズの盟友となる男、卒業を間近に控えたロンドン大学の医学生ジョン・H・ワトソンは、有能さをかわれて政府の諜報機関に勧誘されエージェントとなり、ある極秘指令が下される。世界はどこへ向かうのか? 生命とは何か? 人の意識とは何か?若きワトソンの冒険が、いま始まる。
河出書房新社の公式HPはこちら
毎日.jpでの円城塔さんのインタビュー記事へのリンク等、内容が充実しています。


そいつはつまり脂肪の塊のような代物だ。この時代、歩く脂肪にはこと欠かないし、脂肪の方でも文句は言わない。屍者の脂肪をダイナマイトに置き換えるのに化学的な困難はない。単に常識が立ちはだかって思いつきにくい工夫というだけである。この科学の世紀においては、可能なことはいずれ実現され、遅いか早いかの違いが存在するだけだ。
(pp38)

「物語とは厄介なものです。ただ物語られるだけでは足りない。適した場所と適したときに、適した聞き手が必要なのです」
(アレクセイ・フョードロヴィッチ・カラマーゾフ、pp133)

屍者にしか見えない生者。屍者しか見えない屍者。生者にしか見えない屍者。
今、わたしの目の前で、峠を埋め尽くした氷の塔が次々天へ伸びていく。屍者たちが蟻のようにとりついて、蟻塚は空を目指して伸び続ける。(略)それらの塔は既に建ってしまっているのだとわかる。彼らには時間というものがないのだから未来に実現されるものさえも既に存在してしまっている。こうして造られていくものは、既に造られ終わったものだ。
「屍者の帝国」
わたしの背後で、ハダリーが言う。
わたしの額に、冷たい手を置く。
(pp200)

「あんたは、生命とはなんだと思う」
笑い飛ばされるかと思ったが、振り返ったバーナビ―は不思議そうな顔で淡々と告げた。
「性交渉によって感染する致死性の病」
(ジョン・ワトソン、フレデリック・バーナビ―、pp319)

わたしはカップを皿に戻す。
「天才の最後の世紀も終わる、か」
天才たちの世紀は終わり、大量生産、大量消費へ向けた技術の時代が訪れる。天才の失われる時代では、天才にしか造りえない存在は生まれえない。当たり前の事柄だろう。
(pp447)

一足先に、未来を覗きに行かせてもらう。わたしたちから奪われ失われている未来の姿を。わたしがそこで自らの魂を見出すことができたなら、またいつか出会う機会もあるかも知れない。地上でにせよ。地獄でにせよ。エデン。あれはちょっと人間に耐えられる世界ではなさそうだったが。もしもあちらが良い世界だったら――いや、そんなことはありえないとわたしたちは理解している。
(pp454)



 こんにちは、mayaです。
 信じられないほどの奇跡だったのだと思います。2006年に伊藤計劃さんと円城塔さんが第7回小松左京賞で共に最終選考に残り、どちらもまさかの落選。その後、どちらの作品も持ち込みからハヤカワJコレクションにて刊行され、2007年の『SFが読みたい!』において伊藤さんの『虐殺器官』と円城さんの『Self-Reference ENGINE』がワンツーフィニッシュを決める。その経緯も含めて、二人の新人作家は互いに親交を深めていきます。

 驚異の新人たちの出現。それは同時に日本SFにとって黎明だったはずですが、2009年に伊藤さんはあまりにも早すぎる逝去。一方、『オブ・ザ・ベースボール』以降、文芸シーンにも躍り出た円城さんは『烏有此譚』で三島賞、『これはペンです』で芥川賞候補となり、今年、『道化師の蝶』で同賞を射止め、今となってはSF作家というよりも文芸作家として広く認知されています。

 この二人が今もSFを書き続けていたらどうなったのか? ――といった、たら、ればの話はSF好きのメランコリー以外の何物でもないとは思いますが、本作は語弊を恐れずに言えばスチームパンクとネクロフィリアの合わせ技による日本発のニューウィアードという以外にも、先の問いに対する円城さんの一つの回答だということができると思います。  


 物語の冒頭は、まるでライトノベルのような軽快な出だしからはじまります。19世紀後半も半ばを過ぎ、ロンドン大学医学部の授業を受けていたのはジョン・ワトソン。そして颯爽と壇上に登場したのはエイブラハム・ヴァン・ヘルシング教授。しかも、教授は屍者蘇生について生徒たちに語りはじめ、気に入ったワトソンをとある古い建物へと誘います。そこでワトソンを待ち受けていたのは、第二次アフガン戦争に軍医として従軍しつつ、軍事探偵(諜報活動)をしてほしいという内容の依頼でした。

 ワトソンはその任に就き、ウォルシンガム機関の青年クリ―チャー(通訳兼記録役)のフライデーと共にボンベイへと赴きます。そこではインド副王リットンから歓待を受け、また大英帝国陸軍所属フレデリック・ギュスターヴ・バーナビ―大尉と出会い、クリミア戦争の裏で暗躍した屍者の一団と、それを引き連れて今ではアフガニスタン北方に屍者の王国を築こうと目論む逆賊アレクセイ・フョードロヴィッチ・カラマーゾフを追うことになります。

 アフガン北方に潜入し、ロシア帝国情報部員のクラソートキンとも行動を共にしたワトソンたちは、カイバル峠の野営地でハダリーと名乗る女性に出会い、「アダムにお気をつけなさい」と謎の警告を受けます。そして、ワトソンたちはついにカラマーゾフのもとへとたどり着き、この接触が大英帝国とロシア帝国とカラマーゾフたちによって仕組まれた隠密外交であったことを知らされ、ある有益な情報を引き出します。それは新型の屍者に関するあらゆる技術要件を記したノートの写本が日本政府に渡ってしまったということ。さらにカラマーゾフはこう続けるのです。

「とても入り組んだ話なのです。発端がどこにあるのかわからないほどに。その気になればこの世のはじまりから、アダムから話をはじめられるくらいです。しかしやはり――『ザ・ワン』からはじめるのが適切でしょう」

 ザ・ワン――それは一世紀も前にインゴルシュタットの研究室でフランケンシュタインが創造したオリジナルのクリーチャー。そんな呪われたアダムから屍者は量産されるようになり、クリミア戦争では軍事転用もされ、それでいながらザ・ワンは北極に消えたとされています。しかし、ニコライ・フョードロフの協力もあって、実際のところその行方は知られていません。 

 結果として、アフガンでの短い旅路を終えたワトソンたちは、足跡もつかめていないザ・ワンよりも、確実な手掛かりを求めます。そうです、こうしてワトソンたちは大日本帝国へと赴くのでした――


 といったところが、本作のプロローグと第一部をまとめた三分の一ほどのあらすじなります。その後、舞台は大日本帝国、アメリカ合衆国のサンフランシスコ、フィラデルフィアとまたいでノーチラス号も出てきて、再び大英帝国へと戻っていくといった世界一周ロードノベルの呈をなしていくわけですが、いずれにしても、イギリス、ロシア、日本、アメリカの近現代史、科学史と文学史を知っていればよりにやにやできるといった衒学趣味は円城さんの真骨頂と言えるでしょうか。実際、『Boy’s Surface』のような突拍子さはなく、エンターテイメントとして非常に優れています。今年のベストファイブには確実に喰い込む作品だと言えるでしょう。

 そして何より三年前に亡くなった伊藤計劃さんに対し、作中にて三年ほどをワトソンの通訳兼記録係として共にしたフライデーの最期の言葉を借りて、円城さんが残したメッセージが胸を打ちます。もしカラマーゾフの言葉通り、「ただ物語られるだけでは足りない。適した場所と適したときに、適した聞き手が必要」だというのなら、わたしは良き聞き手であったのではないかと自負したい。そう強く思いたい。

 だからこそ、ワトソンとフライデーに、あるいは伊藤計劃さんと円城塔さんに「ありがとう」と応えたいです。ちょっとばかし感傷的に過ぎますが、以上、本作の拙いレビューになります。



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